国譲り神話

高天原(たかまのはら、天上の国)を治める天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、大国主神(おおくにぬしのかみ)の治める豊葦原瑞穂の国(とよあしはらみずほのくに、地上の国)は我が子孫が治めるべきと仰せられ、大国主神に統治権の譲渡を要求されました。

地上への使者として天菩比神(あめのほひのかみ)が派遣されましたが、何の返事もなく3年が過ぎたため、2度目の使者として天若日子命(あめのわかひこみこと)を派遣されました。しかし大国主神の娘と結婚して国譲りの要求をされませんでした。

3度目の使者として建御雷神(たけみかづちのかみ)を派遣し、建御雷神は出雲の伊那佐之小浜(いなさのおばま、稲佐の浜)に降り、長い剣を波打ち際に逆さに立て、その刃先にあぐらをかいて大国主神と談判をされました。大国主神は「自分の一存では何とも答えられない。御大之御前(みほのみさき、美保崎=美保関)で釣りをしている息子の事代主神(ことしろぬしのかみ)が答えるのがよい」といわれ、その判断を御子神に委ねました。

美保崎で釣りをしていた事代主神のもとへ、出雲より使者が乗った早船(はやふね、諸手船)が遣わされました。事代主神は、父神に対し「恐れ多いことです。この国は天照大御神の御子に奉献なさってください」と即座に答えると、天逆手(あめのむかえで、拍手)を拍ち、踏み傾けた船を青柴垣に変化させ、その中に身をお隠しになりました。

事代主神の弟・建御名方神(たけみなかたのかみ)は国譲りに反対し建御雷神と力比べをしましたが敗れてしまい、建御雷神はふたたび大国主神に国譲りの意思を問います。すると大国主神は、「私には何の異存もありません。ただひとつ、国を譲る代わりに私の住居として、大きく立派な御殿を建てていただきたい。自分の子供たちは、事代主神が率先して天つ神(あまつかみ)の子孫に仕えるのであれば、それに従わない者はいない。」と返答されました。

そこで建御雷神は望み通り出雲国に立派な御殿を建てました。(現在の出雲大社)

その後、天孫降臨・神武東征が成り現在の日本国家が成立していきます。

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