ご祭神

三穂津姫命
三穂津姫命 五穀豊穣・夫婦和合・安産・子孫繁栄・歌舞音曲(音楽) 高天原の高皇産霊命の御姫神で、大国主神の御后神。高天原から稲穂を持ってお降りになり、人々に食糧として配り広められた神様で「五穀豊穣、夫婦和合、安産、子孫繁栄、歌舞音曲(音楽)」の守護神として篤く信仰されています。また、美保という字はこの神の御名に縁があると伝えられています。
事代主神(えびす様)
事代主神(えびす様) 海上安全・大漁満足・商売繁盛・学業・歌舞音曲(音楽) 大国主神の第一の御子神。鯛を手にする福徳円満の神えびす様として世に知られ、「海上安全、大漁満足、商売繁昌、歌舞音曲(音楽)、学業」の守護神として篤く信仰されています。また、出雲神話・国譲りの段において御父神・大国主神より大変重要な判断を委ねられた尊い神様です。

神系図

図:神系図

社殿

  • 写真:社殿(1)
  • 写真:社殿(2)

本殿

向かって右側の「左殿(大御前、おおごぜん)」に三穂津姫命、向かって左側の「右殿(二御前、にのごぜん)」に事代主神をお祀りしています。大社造の二殿の間を「装束の間」でつないだ特殊な形式で、美保造または比翼大社造とよばれており、建築用材の大半は美保関周辺に自生していた松を使用し、屋根は檜皮(ひわだ)で葺いています。
現在の本殿は文化10年(1813)に再建され、国指定の重要文化財です。
※神社において左右の概念は、神様を基準としています。したがって、向かって右側が「左殿」、左側が「右殿」となります。

  • 図:本殿平面図(1)
  • 写真:本殿

拝殿

昭和3年、建築学者伊東忠太の設計監督により造営されました。檜造りで、屋根は杉板を敷きつめた柿葺き(こけらぶき)です。船庫を模した独特な造りで壁がなく、梁がむき出しの上、天井がないのが特徴です。この構造に加え周囲が山に囲まれている為、優れた音響効果をもたらしています。
また、鳴物をお好みになるご祭神への崇敬から年間を通して音楽の奉納も数多く行われます。
※伊東忠太が設計に携わった社寺…橿原神宮・平安神宮・明治神宮・築地本願寺など多数。

  • 写真:拝殿(1)
  • 写真:拝殿(2)

神門・回廊

拝殿と同様で檜材、屋根は杉板の柿葺きで、昭和3年の造営です。

  • 写真:神門(1)
  • 写真:回廊(2)

ご由緒

ご創建
イメージ:勾玉の破片勾玉の破片イメージ:土馬土馬天平5年(733)編纂の『出雲国風土記』及び延長5年(927)成立の『延喜式』に社名が記されており、遅くともその時期には「社」が存在していたことがわかります。境内地からは4世紀頃の勾玉の破片や、雨乞いなどの宗教儀式で捧げたと考えられる6世紀後半頃の土馬が出土しており、古墳時代以前にも何らかの祭祀がこの地で行われていたことがうかがえます。
えびす様の総本宮
イメージ:えびす様の総本宮全国各地にある事代主神を祠る「えびす社」3,385社の総本宮として、北は北海道から南は沖縄まで特に水産・海運・商業に携わる人々から広く信仰されてきました。えびす様は右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱える御姿で親しまれています。魚釣りを好まれ、「漁業の祖神」として崇敬されてきたのは、事代主神が美保の地(沖ノ御前・地ノ御前と云われ美保神社の飛地境内)において日本の文献上、最初に魚釣りをされたことが所以です。
事代主神と国譲り
イメージ:事代主神と国譲り諸手船神事絵巻より 使者が美保の地へ向かう場面天孫降臨に先立ち高天原の神は、大国主神がお治めになっている「この出雲の国は天孫が治めるべき国である」として使者を遣わされます。大国主神はこれに対し、「私の一存では決められない。」と、自分の使者を熊野諸手船に乗せて御子神の事代主神の元へ遣わしになります。美保の地で釣りをなさっていた事代主神は直ちに、「この国は天孫に献上すべきである。」とお答えになり、海中に青柴垣を造ると、天逆手(あめのむかえで)(手を打って約束する、手締めの起原)を打って、その中に身をお隠しになられました。この和譲の精神による国譲りによって、その後の天孫降臨・神武東遷が成り、今日の日本国家が成立していきます。
この国譲り神話を再現、儀礼化したのが12月3日の諸手船神事、4月7日の青柴垣神事です。
国譲り神話について詳しく見る
青柴垣神事について詳しく見る
諸手船神事について詳しく見る
事代主神の御神名
イメージ:事代主神の御神名国譲りの際、国の一大事に身をもってあたり代わられ、見事に成し遂げられたご功績をそのまま御神名にしたもので、謙譲の美徳と話し合いの大切さを現しています。
また、事代主神は本来「事知主神」であって、世の中のあらゆる事を知り、その正否を正確に判断する神様で、誠の守り神ともいわれています。
拍手(手打ち・手締め)の起源
イメージ:拍手(手打ち・手締め)の起源神話画額より 天逆手を拍つ場面日本の文献上、手を打つという記述が初めて登場するのは、『古事記』の「国譲り神話」です。ここに天孫降臨に際し、出雲国を譲るように言われた大国主神(おおくにぬしのかみ)は、御子神の事代主神にその返答を委ねます。事代主神は「畏(かしこ)し、この国は天つ神に奉り給え」と直ちに了承し、「天逆手(あめのむかえで)」を拍ったとあります。
これが、現在の手打ち・手締めの起源であり、拍手を打って約束を交わすという意味で、商談がまとまった際や建設現場での竣工式などで用いられる一本締めや三本締めもこれにあたります。
えびす様を「商売繁盛の神さま」と崇敬する所以のひとつでもあります。
えびす様の鶏嫌い
イメージ:えびす様の鶏嫌い御神影軸より 足を隠したえびす様事代主神は、中海を渡り美保の対岸にある東出雲町揖屋(いや)の三嶋溝杭姫命(みしまみぞくいひめのみこと)のもとに夜な夜な通われ、明け方になると美保の社にお帰りになっていました。ところがある夜、一番鶏が時刻を間違えて、まだ夜も明けないうちに刻(とき)の声をあげてしまいました。急いで帰路についたところ、あわてられたせいか途中で船を漕ぐための櫂(かい)を海中に落とされ、仕方なく足で掻いている時に、その足をワニ(サメ)に噛まれ不具になられました。やっとの思いで美保に帰り着いたえびす様の耳に、今度は正確な刻の声が聞こえました。怒ったえびす様はそれ以来ニワトリを忌むべきものとされたと伝わっています。
以後、里(美保・揖屋)の人は鶏肉、鶏卵を食べず、鶏を飼うこともご法度としました。
えびす様がいつも片足を曲げていらっしゃるのは、この時の傷のせいです。
御皇室と事代主神とのご関係
図:『日本書紀』による事代主神は、御皇室と深い関わりをお持ちの神さまで、御皇室を守護する「宮中八神」のうちの一柱として、宮中にも祀られています。また事代主神の娘様・曾孫娘様は初代神武天皇・第2代綏靖天皇・第3代安寧天皇の皇后となられています。このうち、神武天皇の皇后である姫蹈鞴五十鈴媛命、綏靖天皇の皇后である五十鈴依媛命は、御本殿内にある姫子社にお祀りしています。
波剪御幣と寶栄丸
国幣中社美保神社(明治18年頃)の絵図多くの船舶が停泊する美保関港波剪御幣(なみきりごへい)は、当社に古くから伝わる特別授与の御幣で、海難・水災・火災・病など人生で突如ふりかかる厄災を祓い除け、風向きを変えると広く信仰されてきました。
社伝によると「明治29年、ウラジオストックに向かった寶栄丸は大暴風に遭い能登沖で漂流した。乗組員が波剪御幣を舟先に立て、美保大神に必死に祈願したところ、波間から大鯛が現れ、鯛の行く手に導かれるように進んだ。一夜明けると、美保の岬に辿り着いていた。一同歓喜に打ち震え、神恩の広大無辺を絶叫した。」と伝えられ、境内には寶栄丸の折れ舵が奉納されています。
また、「板底の下は地獄」といわれた帆船時代、船乗り達の当社に対する信仰は篤く、美保関港を出入りする船の大半は波剪御幣を受け、船内の神棚にお祀りしていました。
波剪御幣は通常社頭では授与しておりません。お申し込みの上、毎月一日、神鬮(みくじ)によって選ばれた方のみ授与しております。
関札、御種とハーン
イメージ:田畑を守護する関札田畑を守護する関札岡山県や鳥取県を中心に当社の敬神講社が多数結成されています。
講社の方々は、毎年当社へ参拝し、その土地の安全や五穀豊穣、さらに家内安全などを祈願します。その際、風習として神札である「関札」(紙のお札)とお祓いした籾だね「御種」を受けて持ち帰り、春になると田畑に竹を刺し、その竹に関札と榊の三つ葉を差し込んで、豊作と害虫よけを祈ります。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は松江に赴任の際、鳥取県の田園風景を目にし、『日本瞥見記』のなかで「行くところ、至るところに、この祈祷の白羽の矢(関札)が、青々とした稲穂の上にちらちら光っていて、しかもそれが、行くにしたがってだんだん数が増してくるのである。見渡す限り広い田圃のあちこちに、無数にそれが散らばっているさまは、まるで青々とした野の面に点々と白い花でも咲いているようだ」と記し、この神札の立てられている所では害がないとしています。
さらにハーンは、「この社の稲の実(御種)をいただき、念じながら蒔くと、何にでも願いのままのものが生える。竹だろうと、棉だろうと、豆だろうと、ハスだろうと、西瓜だろうと、何でもかまわない。ただこの稲の実を蒔いて、信じてさえいれば、望むがままの作物が生える。」と記しています。
境内には、この御種から生じたといわれる御神竹が現存しています。

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歌舞音曲(音楽)の神様

歌舞音曲(音楽)の神様
イメージ:歌舞音曲(音楽)の神様(1)多くの船舶が停泊する美保関港美保関は古くより海上交通の関所で北前船をはじめ諸国の船が往来し、風待ちの港として栄えた場所です。「関の明神さんは鳴り物好き、凪(なぎ)と荒れとの知らせある」と、船人の口から口へと広く伝えられました。船人の美保神社に対する信仰心は非常に篤く、海上安全や諸願成就などの祈願の為、さまざまな地域から夥しい数の楽器が奉納され、この内846点が国の重要有形民俗文化財に指定されています。
846点の奉納鳴物のなかには、日本最古のオルゴールやアコーディオン、鳥取城で登城の時を告げていた直径157cmにもなる大鼕、島原の乱で戦陣に出されたと伝わる陣太鼓、初代荻江露友が所有していた三味線など名器や珍品も数多く含まれております。また、本殿以下さまざまなものを焼失した元亀年間(1570~1573)の兵火の難を逃れた太鼓も現存し、その当時より鳴物奉納の信仰があったことがうかがえます。
平成4年には明治の初頭以来途絶えていた「歌舞音曲奉納」を100年ぶりに復活させ、一流の演奏家が神前に向かって(聴衆に背を向けて)演奏し、聴衆は一切の拍手をしないという独特の音楽祭が行われています。
日本渡来最古のオルゴール
イメージ:日本最古のオルゴール日本渡来最古のオルゴール軍艦八雲丸 元治元年(1864)奉納
日本渡来最古のオルゴールです。
スイスのルクルト・フレール社製のシリンダー・オルゴールで、18世紀のオペラの序曲と、旧イタリア国歌を奏でます。西欧では「音の出るタバコ入れ(シガーボックス)」として利用されていたようです。当時の日本では、笛や太鼓、三味線といった楽器が主流でしたので、こうした「自動的に音楽を奏でる楽器」はとても珍しく不思議な楽器として感じられたことでしょう。
「八雲丸」は、幕末松江藩が所有した軍艦です。幕末動乱の最中の元治元年(1864)、武運長久を願って奉納され、そののち幕府の命により長州へと出陣しました。
日本渡来最古のアコーディオン
イメージ:日本渡来最古のアコーディオン日本渡来最古のアコーディオン朝日千助 嘉永2年(1849)奉納
天保12年(1841)頃、オーストリア・ウィーンで製作された、日本渡来最古の手風琴(アコーディオン)です。
奉納者の朝日千助は松平治郷時代の家老ですが、幕末の頃、子孫の手によって武運長久を願って奉納されました。
アコーディオンは、雅楽で使われる鳳笙がもとになったと考えられています。中国の笙が中世にヨーロッパに渡り、19世紀前半に笙をヒントにハーモニカが誕生し、ハーモニカが発展してアコーディオンになったと言われています。
大鼕
イメージ:直径157cmの大鼕直径157cmの大鼕殿村為三郎ほか24人 明治6年(1873)奉納
安政5年(1858)7月、因幡国八東郡鹿野村(現・鳥取県八頭郡八頭町妻鹿野)にあった樹齢1000年のケヤキをくり抜き「三つの兄弟太鼓」が製作され、鳥取藩で使用されました。藩では鳥取城下の藩士に登城の時刻を報じていたと推測されます。明治6年に民間へ払い下げられ、そのうちのひとつが、鳥取の殿村為三郎ほか24人により奉納されました。
現在では毎朝8:30の朝御饌祭や特定の祭典時に限り使用しています。
また、ほかの二つの大鼕は、名和神社(鳥取県西伯郡大山町)・賀露神社(鳥取県鳥取市)に奉納され現在に至ります。これら「三つの兄弟太鼓」は平成6年9月、当社の『恵美須音曲祭94・海響』における奉納演奏で120年ぶりに再会しました。
陣太鼓
イメージ:陣太鼓陣太鼓森嶋治郞兵衛他3名 明治7年(1874)奉納
島原の乱の際に使用されたと伝わる陣太鼓(じんだいこ)で、明治時代に入ってから奉納されました。その間の経路は不明です。この陣太鼓は台座を兼ねた箱に収められ、箱の前後には折りたたみの蓋が蝶番で取り付けてあり、金具で補強された全体的に頑丈な造りです。背負えるように紺の木綿の背負い紐がついています。
陣太鼓は軍陣での合図などに用いられ、その起源は古代まで遡りますが、「陣太鼓」の語は近世に成立したものと考えられています。
三味線「百千鳥」
イメージ:三味線「百千鳥」三味線「百千鳥」大野舎人後室平賀菊子 嘉永6年(1853)奉納
「百千鳥(ももちどり)」と銘のある三味線で、江戸時代中期、初代荻生露友(歌舞伎から派生した古曲「荻生節」初代)が所持、命名した逸品です。のちに松江藩家老の手に渡り、美保神社へと寄進されました。一般には長らく所在不明であったが、昭和30年頃、美保神社を参拝した歌舞伎囃子(はやし)方の名門、田中傳左衛門(人間国宝)の目にとまり発見されたとのエピソードを持ちます。
一節切
イメージ:一節切一節切朝日丹波 奉納 奉納年不詳
この一節切(ひとよぎり)は、元来戦国武将の細川幽斎が愛玩していた笛と伝わっており、奉納者朝日丹波は、松平治郷(不昧)の藩政改革に際し、強い政治力を発揮した人物です。表面全体に漆、金泥で筋状の紋様が描かれ、記銘には「大森宗捃」とあります。
一節切そのものは、室町時代中期から江戸時代初期まで利用されていた楽器です。尺八のもとになった楽器といわれています。一箇所だけ竹の節があるため「一節切」あるいは「一節切尺八」という。竹管の一方の端の一部を斜めに削り、この部分を吹きます。
鳳笙
イメージ:鳳笙鳳笙後藤幸四郎 寛政4年(1792)奉納
奉納者の後藤幸四郎は、伯耆国米子(現在の鳥取県米子市)の廻船問屋です。
「鳳笙(ほうしょう)」は単に「笙(しょう)」ともいい、鳳凰(中国の想像上の鳥)が羽を休めている姿に似ているからその名がついたともいわれています。
17本の竹管と頭(かしら)からなり、頭には太さのそろった竹管を差し込む17個の穴、そして嘴(くちばし)と呼ばれる吹口があり、ここに息を吹き込みます。途中に円孔と屏上(びょうじょう)という長方形の孔が空けられています。円孔を塞ぐと音を発し、竹管の下には、簧(した)というリードがあります。呼気により簧が湿ると鳴らなくなるため、演奏を始める前と後に必ず楽器を温めます。5〜6音からなる和音による演奏が主で、雅楽のなかでは、全体を包み込むような広がりが感じられ、その音色は「天のから差し込む光」を表しているといわれています。
息を吹いても吸っても音が出る笙は、中世にヨーロッパに伝わります。そして19世紀前半、笙をヒントにハーモニカが誕生し、ハーモニカが発展してアコーディオンになったといわれています。また、パイプオルガンのもとになった楽器ともいわれています。
今までの音曲祭(一部)
○平成4年10月23日 恵美須音曲復活祭~百年の時空を越え、いま、蘇る時代の音曲~/富士松鶴千代、花柳錦之輔
○平成6年9月23日 恵美須音曲祭~海響 三兄弟大太鼓~/林英哲
○平成10年10月25~28日 恵美須音曲祭~本殿遷座奉祝祭~/小林靖宏(Coba)、中川イサト、林英哲、島津亜矢、愛田幾也
○平成19年6月10日 恵美須音曲祭~旅歌語り~/小椋佳
○平成19年10月6日 恵美須音曲祭~第三回世界平和祈願祭~/大阪楽所
○平成22年10月10日 恵美須音曲祭 弦哲也、愛田幾也
○平成24年6月24日 神と海の祭/杏子、あらきゆうこ、踊ろうマチルダ

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境内図

境内図

  • 若宮社(わかみやしゃ)、今宮社(いまみやしゃ)、秘社(ひしゃ)
  • 御神竹(ごしんちく)
  • 神饌所(しんせんじょ)
  • 祓所(はらえじょ)
  • 手水舎(てみずしゃ)
  • 狛犬(こまいぬ)
  • 大后社(きさいのやしろ)、姫子社(ひめこのやしろ)、神使社(かみつかひのやしろ)
  • 宮御前社(みやみさきしゃ)、宮荒神社(みやこうじんしゃ)、船霊社(ふなたましゃ)、稲荷社(いなりしゃ)
  • 御霊石(おたまいし)
  • 大鼕(おおどう)
  • 4本爪の錨(いかり)
  • 寶栄丸(ほうえいまる)の折れ舵
  • 社号標(しゃごうひょう)
  • 若宮社(わかみやしゃ)
    天日方奇日方命(アメヒガタクシヒガタノミコト)『事代主神の御子神』
    今宮社(いまみやしゃ)
    太田政清霊(オオタマサキヨノミタマ)
    秘社(ひしゃ)
    神号不詳
  • 御神竹(ごしんちく)
    当社御種(籾だね)から生じたと伝わる竹。
    ※クリックで「御神竹」に関する記事に移動します。
  • 神饌所(しんせんじょ)
    日々の神饌(お供物)などを調製する場所。
  • 祓所(はらえじょ)
    御祭の前にお祓いをする場所です。立入禁止。
  • 手水舎(てみずしゃ)
    参拝前に手、口をすすぐ場所。
  • 狛犬(こまいぬ)
    嘉永3年(1850)銘。
  • 両殿の中央装束の間に末社三社
    大后社(きさいのやしろ)
    神屋楯比売命(カムヤタテヒメノミコト)『事代主神の御母神』
    沼河比売命(ヌナカワノミコト)『御穂須須美命の御母神』
    姫子社(ひめこのやしろ)
    媛蹈鞴五十鈴姫命(ヒメタタライスズヒメノミコト)
    『事代主神の御子神、初代神武天皇の御后神』
    五十鈴依媛命(イスズヨリヒメノミコト)
    『事代主神の御子神、第2代綏靖天皇の御后神』
    神使社(かみつかひのやしろ)
    稲脊脛(イナセハギノミコト)『国譲りの使い神』
  • 宮御前社(みやみさきしゃ)
    埴山姫命(ハニヤマヒメノミコト)『土の神様』
    宮荒神社(みやこうじんしゃ)
    奥津比売命(オキツヒメノミコト)『竈(食事、調理)の神様』
    土之御祖神(ツチノミオヤノカミ)『土の神様』
    奥津彦神(オキツヒコノカミ)『竈(食事、調理)の神様』
    船霊社(ふなたましゃ)
    天鳥船神(アメノトリフネノカミ)『船の神様』
    稲荷社(いなりしゃ)
    倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)『食物を司る神様』
  • 御霊石(おたまいし)
    かつて地元漁師が漁をしていると、偶然まん丸い2つの石が海中(地之御前付近)から採れ、珍しいと奉納されました。文化の造営(1813)の際、夢のお告げがあり1つは海へお返ししたと古書にあります。
    丸い石を触るとお腹の子が健康に育つ、という「安産信仰」から多くの妊婦が撫でた為、御霊石の上部はすり減っています。
  • 大鼕(おおどう)
    安政5年(1858)ケヤキの大樹を刳り抜いて製作されたもので、以前は鳥取城の登城報鼓として使用されていました。当社では毎朝の朝御饌祭や古伝祭などに使用しています。
    胴直径157.3cm 直立157.6cm
  • 4本爪の錨(いかり)
    沖之御前付近から揚がった錨。4本爪の錨は動力をもたない帆船時代のものです。
  • 寶栄丸(ほうえいまる)の折れ舵
    ※クリックで「寶栄丸の折れ舵」に関する記事に移動します。
  • 社号標(しゃごうひょう)
  • 社号標・二ノ鳥居社号標・二ノ鳥居
  • 神門神門
  • 本殿・拝殿本殿・拝殿

境外末社地図

社名 ご祭神
1 沖之御前 事代主命
活玉依媛命
2 地之御前 事代主命
活玉依媛命
3 客人社 大國主命
合祀幸魂社 大物主命
4 天王社 三穂津姫命
5 地主社 事代主命
或いは御穂須須美命と伝わる
6 久具谷社 國津荒魂神
多邇具久命
社名 ご祭神
7 客社 建御名方神
合祀切木社 久久能智神
合祀幸神社 猨田彦神
8 糺社 久延毘古命
9 筑紫社 市杵嶋姫命
田心姫命
湍津姫命
10 和田津見社 大綿津見神
豊玉彦命
豊玉姫命
11 天神社 少彦名命
12 市恵美須社 事代主命
13 浜恵美須社 事代主命

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